『どのような姿勢で習うのが効率的? (その1)』
【テーマ:プチレッスン】
こちらのテーマでは皆さんに私のレッスンの「氷山の一角」を披露させていただこうと思います。お楽しみください。
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本日は指導者が見つかったとして、「どのように教わるのが良いのか?」
ということについての私の考えをお話して行きたいと思います。
まったくの初心者の場合は問題ないと思いますが、
・・・・・はじめてから少したって、「一生懸命になりかけてきた方」こそ、ちょっと注意してみて下さい。
・・・・それは、
「初めにあまり予備知識を持たない方がいい」
ということです。
どうしても、「一生懸命」な方ほど、情報を仕入れて来られて、頭に入れてレッスンを受けられます。
その情熱自体は良いのですが、
頭に「予備知識」が入っていることは理解が進むというプラス面の反面、
「疑問が生じて、指導者の指導に素直に従えなくなる」
というマイナス面な面もあって、この業界におりますとその面の割合が多く現れるように思えます。
ですから、まずは、あなたにとって、どんなに「エーっ!!」と思うようなことでも、しばらくはやってみましょう。
禅のお話の中にも、弟子入りする人を迎えて、老師がお茶🍵を入れてあげるシーンが有ります。
老師は茶碗からお茶があふれているのに、まだ注ぎ続けているので、弟子入りした人が、
「老師、老師、お茶がこぼれていますよ」
と注意します。
それに対して老師は、
「あんたもこれと同じじゃ」
・・・と言うんです。
弟子入りした人が、
「???」
と考え込んでいますと、老師が言葉を継ぎます。
「お前の頭のなかには、
『あれはああじゃないといけない』、『これはこうだ』、『あれは良く、これは悪い』というようなお前さんだけの決まりことがたんまり入ってしもうていて、
わしの教えはまるでこのこぼれゆくお茶のようにあんたのお椀の中に収まらんということじゃ」
・・・と。
雑誌、テレビ等で一生懸命にゴルフに取り組んでこられた方が、スクールにいらっしゃいますとこの弟子入りした人のようなケースが比較的多いと感じます。
何を隠そう・・・私自身が教わっていた時にそうでした😰
目の前の先生の教えが大切なのに、
自分の教えと先生の教えが衝突するんですね。
それで一般的に人は「自分の考え」を脇に置くことはしたくない生き物なので、いつまでも、自説を盾にそれを物差しにして先生の教えを取り入れようとする葛藤行動が生まれるわけです。
そのようなことでは先生の教えが、腹に収まるわけもないので、成果も出ないことはあなたにもおわかりでしょう。
日本にヨーガを拡めたと言われる思想家の中村天風氏が、死を覚悟した大病をヒマラヤの奥地で先生のカリアッパ師に治してもらおうとしていた時のことです。
カリアッパ師が治してくれると保証するので、遠くヒマラヤの奥地まで付いて来たのにカリアッパ師はなかなか教えてくださろうとしません。
もう実に何日も過ぎて行きます。
しびれを切らした天風さんはカリアッパ師に文句を言いました。
「教えてくださると言うんで、私はこんなに遠くまで来ました、なのに、どうしてあなたは私に教えてくださらないのでしょうか?」
・・・と。
カリアッパ師がどういう内容のことを言ったか・・・もう、あなたは察し💡がつきますね?
「お前の中にはお前が学んできたものがたくさん詰まっている。私はいつになったら、お前がそれをカラにして、私が教え始めることが出来るかと、こちらこそ待っているんだよ」
・・・というようなことを天風さんでさえ、言われてしまっていたんですね。天風さんも自分の病のことを世界中歩きまわって調べていましたから。
ゴルフインテリで成果の出ない方は要注意⚠ですよ。
続きが未だあるのですが、話しているうちに長くなってきましたので、この辺で私たちもお茶🍵にしましょうか?
お茶碗は「カラだから役立つ」・・・ということを思い出しながら。
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お楽しみいただけましたでしょうか?
本日もお読みいただきまして有難うございました。