今回は良寛和尚(人々は親しみを込めて「良寛さん」と呼んでいました)から大小の「災難」に遭ったときの処し方について一緒に学びたいと思います。

 

 

 

❏ 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候(そうろう)

 

 

この言葉は良寛さんが新潟で起きた大きな地震の見舞いとして友人へ送った手紙の中に出て来る文言の一部です。

 

ここで文言をフルにご紹介しましょう。

 

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候(そうろう)

 

 

死ぬる時節には死ぬがよく候

 

 

是(これ)はこれ災難を逃(のが)るる妙法にて候

 

 

 

 

❏ 言葉の意味

 

 

言葉の意味はお読みいただければおわかりいただけると思いますが、次のようになります。

 

 

「災難にあうときには災難にあっておけばいいですよ。

 

   死ぬときには死ぬのがいいですよ。

 

      これが災難を逃れるすぐれた方法なんですよ」

 

 

とまあ、こういったところでしょうか。

 

はじめてこの言葉をお読みになった方の中には「何と冷たい、突き放したような言葉だ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

【須崎のチョット解説】

 

文字だけを追いますと、確かに冷たいですよね。

 

それでも真実に興味をもってご自分で調べはじめたり、また、長く生きていきますと、いずれこの言葉が同じ言葉なのに化学変化を起こして「違った意味」にとらえることが出来て、良寛さんが友へ伝えようとした真意が見えてくると思います。

 

どのように思ってこの文言を書き送ったかは良寛さんに聞いてみないと本当のところはわからないと思いますが、私にはこの言葉は「諦観」を表しているように受け取れます。

 

「諦観」というのは「あきらめる」ということですが、よく誤解されがちです。

 

「あきらめる」と言いますと、「もうそこで終わり」

 

 

そこから何か新しいもの✨が生まれるという生き生きとしたもの

 

 

を感じ取ることがなかなか難しいものですが、「あきらめ」たその瞬間にそのあきらめによって生じた

 

 

「何もない」ところ

 

 

「何か未知なる新しいものが生まれる」土壌が現れます。

 

私たちが生きていく中で知らずに似たようなことを行っているときがあります。

 

それが

 

 

「開き直り」

 

 

ということです。

 

起きることは起きることですので、どうにもしようがありません。

 

そのどうにもしようのないことを心が思う理想と比較して、「ああならなければよかった。なぜああなったんだ」とその場に心を留(とど)めて淀んでしまうと「災難から逃れるすぐれた方法」を得られないことを良寛さんはおっしゃっているように私には思えます。

 

災難に「あう」の漢字にも親しい人に会うときに用いられる

 

 

「逢う」

 

 

という字を使っています。

 

このあたりにも良寛さんの心が現れていますよ。

 

 

【須崎のもうチョット深く解説】

 

良寛さんはこのチョット見、なかなか出来ないことを地で行った人でありました。

 

残っている二つのお話をご紹介しましょう。

 

 

◎ 良寛さん、放火犯と間違われる

 

 

良寛さんは一時期、砂浜で暮らしていたそうです。

 

漁師から掘っ立て小屋を借りて住んでいましたが、ある時、その砂浜で火災が発生します。

 

いろいろと検討した結果、気の荒い漁師たちは良寛さんが火🔥をつけたという結論に達しました。

 

それで良寛さんを砂浜に生き埋めにしようということになります。

 

穴が掘られ、今まさに良寛さんが埋められるときに友人が通りかかりました。

 

騒動が起きているので、その友人が「何が起きているんだ?」と漁師たちに尋ねますと、「この者が小屋に火を放った」というので穴の中を見てみますと、そこに良寛さんがいるではありませんか。

 

友人は漁師たちに

 

 

「オイオイ、あの者は良寛さんといって良いお坊さんだ。良寛さんがそんなことをするわけがない。早く出しなさい」

 

 

と言いました。

 

最終的に良寛さんは穴から出されるのですが、救出された後にその友人は良寛さんに尋ねます。

 

 

「良寛さん、どうして『自分はそんなことをしていない』と言わなかったんだい?」

 

 

すると、良寛さんは

 

 

「『あの者が火をつけた』と思い込んでいる人たちに、『そうじゃない』と言ったところで『ああ、そうなんだね』と納得するものじゃないでしょう?」

 

 

と答えました。

 

まさに「災難に・・・」を実行していますよね。それで身が助かっているということが

 

 

「妙法」の功徳(くどく)

 

 

なのでしょう。

 

「そうじゃない」と反抗していたら、結果はもっと悲惨😱なものになっていたかもしれませんよね。

 

 

 

 

◎ 良寛さん、悟りを確かめられる

 

 

良寛さんがある時、川を渡ろうと渡し船に乗っていたときのことです。

 

その船の船頭がふと「良寛さんは悟っていると言われているけど、本当かどうか確かめてみよう😁」と頭によぎりました。

 

そして、良寛さんを川へ突き落としてしましました。

 

良寛さんはアップアップして今にも溺れそう😵です。

 

このくらいでもういいだろうと船頭が竿を差し出して良寛さんを救出しますと船に上がった良寛さんは

 

 

「ああ、もう死ぬ😵かと思った。お陰さまで助かりました」

 

 

と怒るどころか、船頭に感謝しました。

 

それには船頭も「こんな方に悪いことをしてしまったな」と恐れ入ったということです。

 

この二つのお話で「災難に逢う時節には・・・」ということがどういうことなのか、ご理解が深まったことと思います。

 

 

 

 

❏ ゴルフへの応用

 

 

ゴルフをやっていても「災難」に見舞われますよね。

 

そのときに二つの道があります。

 

ひとつは多くの人が通る道で

 

 

「ああ、早くこの状態を脱しなければ、嫌だ、嫌だ、どうすればいい? 何かノウハウは?」

 

 

と災難に安住しない道です。

 

もう一つの道は今回ご紹介した道で

 

 

「ああ、災難が来たな。災難に逢う時節なんだ。災難に逢っておこうっと♡

 

 

と心から災難を貴いものとして抱きしめる道です。

 

この道は一見しますと「難しい道」のように見えますが、覚悟を決めて歩いてみれば良寛さんが「これがすぐれた方法」だと仰った意味がおわかりになると思います。

 

今までの災難をよけ、逃げ惑う道を捨てて勇気を持ってこの新しく今回知った道を歩む方にはこれまでと違ったゴルフの結果が生まれます。

 

それでも須崎は理解しています・・・良寛さんの道を選択することがなかなか出来ずに災難が起きたときにその災難を嫌がり、その災難に「アッチに行け!」と言いたくなり、心がそこで止まり、ガックリと意気消沈してしまうことも。

 

それが普通の心ですからね。

 

それでも、今回のお話を知っておけば本当に切羽詰(せっぱつま)ったときに「開き直って」良寛さんのオススメの道をお選びになるかもしれません。

 

 

今回もお読みいただきまして有難うございました