今回はプロゴルファーを目指す研修生七海(※)がその心の師である和尚と「から学ぶ」というテーマでメンタルに取り組んでいるところにお邪魔して一緒に学ばせてもらいましょう。

※ 七海は女子プロゴルフのプロテスト突破を目指す18歳の研修生。技術だけでなく、自分の能力を発揮し切るための「メンタル」の重要性に気づき、2017年夏から和尚の指導を受けはじめた。

 

 

七海:

先日も中秋の名月🌕だったから「お月見団子」を食べたけど、和尚、今日のお団子も美味しかったです😋

 

さあ、これで今回のメンタル法話を聴くエネルギー💪を補給したのでお願いします。

 

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』からのお話でしたね。

 

前回(※)、私の質問で持ち越しとなったお話ですよね。

※前回のお話はコチラになります。

 

 

『七海メンタルを学ぶ(7):「気づき」の練習必要なし!』

 

 

 

和尚:

そうだったね。

 

私は前回は七海のお陰で法話は良い展開を見せることが出来たと思っているよ。

ありがとね~。

 

 

さて、録画して番組はね、

 

 

file:327 咲く で咲く

 

 

の回のもので主人公のプロフェッショナルは

 

 

樹木医和田博幸さん

 

 

という方でのスペシャリストらしいよ。

 

 

番組は初めから終わりまで私の参考になったんだけれど、七海に特に話したいなぁ〜と思うのは特に二ヵ所なんだ。

 

まずはね、山梨県の北杜市に山高神代桜という樹齢2000年とも言われる桜があって、それが瀕死の重傷の状態になって、その回復がこの和田さんに託されたらしいのね。

 

この桜が弱りだしてから人々は風雨にさらされると余計に弱っていくということで、この桜に屋根を付けたらしいよ。

 

ところがこの屋根のせいで、逆に新しい根に水分が行き届かなくなって余計に木は弱っていってしまったそうだ。

 

「桜を大切にしようという人々の思いが裏目に出てしまった」

 

と番組では紹介されていたよ。

 

その場面で和田さんがおっしゃっていた次のことが私の印象に残ったんだ。

 

 

 

和田さん:

 

「一方的に人の思いで立派な木にしなきゃいけないんだとか、

 

それなので石垣で囲ったりして本当にこの木にはそれこそ神が宿るような木なんだ。

 

そういうしつらえをしてしまった。

 

そういうたたずまいをあそこで作ったっていうのが、あの木を弱らせる原因だったのではないかなと思います」

 

 

特に私の気を引いたのは

 

 

「人の思い」で「しつらえ」をしたことが、この木を弱らせた

 

 

というところなのね。

 

つまり「人の勝手な都合」で環境作りをしたことが、この木を弱らせたということ。

 

 

私が和田さんの言葉を誤解していなければという前提付きではあるけれど、ここのところは七海が将来、試合に出て

 

 

「人並みでない成果」

 

 

を残すには非常に大事なポイントだと私は思うんだ。

 

どうして「人並みでない成果」をここで出してきたかというと、一般的に人というのは

 

この神代桜に対して行ったことをやってしまっているから

 

なんだ。

 

裏返せば、そのようなことをやらなければ多くの人とは異なった道を歩むことになるので、結果として「人並みでない」ようになるということだネ。

 

でも、間違ってほしくないことは「人並みでないこと」は決して、それで「七海が人より偉くなる」ということではないということ😉 

 

 

さて、一般的に多くの人が「同じような道を辿(たど)ってしまう」のは、

 

それが「心」のメカニズムだから

 

なんだ。

 

ここで今回の番組と「メンタル」がつながってくるわけだね・・・私の中では。

 

 

 

七海:

なるほど。

 

そうつながってくるんですね。

 

 

 

和尚:

それで人というのはふつうは「心」のことなんか調べてみようとは思わないからね、いつまでたってもその心のメカニズムが「自動運転」してしまうんだ。

 

そのメカニズムっていうのは、この神代桜の例にも見ることが出来るように「自分にとって大切なものこと」を、もちろん「良かれ」と思ってのことではあるにしろ、

 

 

自分の勝手な都合から導き出した策「かえってダメにしてしまうこと」

 

 

っていうことね。

 

 

「心」を観察していると「心」ってそういうカラクリがあることがわかるよ。

 

 

「大事だから手を入れて、かえってダメにしてしまうカラクリ」

 

 

がね。

 

 

たとえば、愛する我が子に親の勝手な考えで手を加えすぎてダメにしてしまうとか・・・。

 

 

七海にとって「ゴルフは大事」でしょ?

 

 

 

 

七海:

はい、もちろん!!

 

 

 

和尚:

だから、七海にとって大事なゴルフに取り組む時にもそういうことに注意⚠しないとね。

 

七海が良かれと思って真季子のゴルフに取り入れたことが

 

七海のゴルフを枯らす原因になることもある

 

っていうことをネ。

 

 

こういう人の勝手な想い(※)」「親の勝手な想い」「子どもの勝手な想い」「恋人の勝手な想い」「伴侶の勝手な想い」・・・は一見「愛」に見えるけど、「愛」ではないんだ。

※ 番組の中では「思い」という字が当てられていましたが、和尚は「想い」という字を使わせていただいています。

 

その証拠に「相手を枯らして」しまう。本当に「愛」であれば育つ方向に貢献するものね。

 

でもネ、七海、言うほど

 

 

「『愛』のような『愛でないもの』」「本当の『愛』」の見分け👀

 

 

は簡単ではないんだ。

 

 

 

その「『愛』のような『愛でないもの』」は人の「はからいごと」から生まれるんだよ。

 

「はからいごと」「自我」・・・俗に言う「エゴ」から生まれるんだ。

 

この神代桜の場合は

 

この」気の毒なのではなく、「自分たちが」このを見て楽しめなくなる

 

あるいは

 

この」が気の毒なのではなく、「自分たち」がこの名のあるを枯らしたら恥になる

 

と心に思ったのじゃないだろうかと私は思うんだ。

 

七海、主語が「桜」になっているか、「自分たち」になっているかの違いに気づいたかな?

 

 

 

七海:

はい、気づきました。

 

和尚、確かに一見した行為は主語がどちらにしても「『』のため」のような感じに思えてしまいますね。

 

 

 

和尚:

そう。

 

そこが

 

とても大切なところであって、また日常で見過ごされてしまいがちなところ

 

でもあるんだ。

 

行為は似たようなものであっても、行為の出どころ・・・つまり、主語がどちらにあるかで内容が全く異なるんだ。

 

「愛」の行為となるか、「エゴ」の行為となるか・・・。

 

 

七海が将来臨むゴルフの試合で言えば、お客さんである

 

 

「ギャラリーのため」とか「ファンのため」

 

 

とかプロの選手が言っているよね。

 

同じ

 

 

「ギャラリーのために良いプレーを見せたい」

 

 

というのでも、

 

 

「愛バージョン」「エゴバージョン」

 

 

があるんだけど、わかるかな?

 

私は七海がこんなこともプロになる前にしっかり学んでおいた方がいいと思うんだ。

 

もちろんそれはゴルフをプレーする時のメンタル面にも大きく影響するよ。

 

さあ、どうだろう?

 

二つのバージョン、わかるかな??

 

 

 

七海:

「愛バージョン」「エゴバージョン」ですか・・・。

 

ええとぉ・・・。

 

 

「愛バージョン」というのは

 

 

「ギャラリー」が幸せになるように

 

 

で、「エゴバージョン」

 

 

「私」が幸せになるように

 

 

ということですね。

 

 

 

和尚:

そうだね。

 

「愛バージョン」

 

 

ひたすらギャラリーの幸せのために自分の能力を表現する

 

 

ということだね。

 

一方、「エゴバージョン」

 

 

表向きは「ギャラリーの幸せのため」と言っているけれど、実は自分の幸せのために自分の能力を表現する

 

 

ということ。

 

もう一度言っておくけれど、言葉ではこの両者の違いはわかりやすいので「自分は間違いない」と思い込みがちなんだけど、「心」のカラクリというのはとても巧妙に出来ているからね、自分の「心」が本当に平で落ち着いて正直なときでないと、自分が「本当はどちらの立場でそのことを言っているのか?」はわからないんだ。

 

でもネ、時間の経過とともに追い追い現象として現れてきてしまうものだからね。最後には身にしみてわかっちゃうんだ。

 

でも、そんな最後にわかるんではなくって、出来ることなら最初にわかっていたいでしょ?

 

 

 

七海:

はい、それはもちろん!

 

 

 

和尚:

だから正直に自分の心が

 

 

「ギャラリー、ファンやその他の人」を主語として自分の能力を発揮したいと思っているのか?

 

 

あるいは

 

 

「自分」を主語として自分の能力を発揮したいと思っているのか?

 

 

を見定めておく必要があるんだ。

 

ここでのポイントは

 

 

「正直である」

 

 

ということに尽きるヨ。

 

一番良くないのは本心は「自分が主語」なのに、口から出る言葉が「他人のため」という状態。これはウソだからね。

 

「建前と本音」とよく言われるけれど、今、時代が変わりつつあるから、これからはそういうやり方はだんだん通用しなくなっていく。

 

隠している本音が比較的短い時間に表に出てきてしまうことになる。

 

七海は

 

「天網恢々(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」

 

っていう言葉を知ってるかい?

 

 

 

七海:

はじめて聞きました。

 

どういう意味なのでしょうか?

 

 

 

和尚:

うん、この言葉はね・・・例によって誰が言ったかはここでは話さないけど、

 

 

天の網の目は一見すると粗(あら)く見えるけれど、実際にはわずかな取りこぼしもない

 

 

ということを言っているんだ。つまり、

 

 

お天道(てんとう)さんは全てお見通しだよ

 

 

ということだし、

 

 

嘘は隠し通すことが出来ない

 

 

ということだよ。

 

 

その言葉を思う時、私は自分のこんな経験を思い出すんだ。

 

 

 

七海:

和尚、何か嘘でもついたんですか?

 

 

 

和尚:

おっ、そ、そうなんだ😅 

 

もう40年くらい前の話なんだけどね・・・。

 

小学校の頃、水曜日が早帰りで給食を食べて下校だったんだ。

 

それで、とある水曜日に母から「あなた今日は耳鼻科に行っていらっしゃいよ」と言われて、「はい!」と私は約束したのね。

 

ところが、悪知恵が働いて😅、午後から友達と東京と神奈川の境を流れる多摩川に釣り🎣に行く約束をしちゃったんだ。

 

当時、私は東京の品川区の五反田というところに住んでいて多摩川までは電車で小一時間と言うくらいの距離だったんだ。

 

その日、母は川崎にある実家にお手伝いに行っていてね、今でも覚えているけれど私は

 

「バレるわけがないから、耳鼻科に入っておいたことにすればいいや」

 

なんて思ってたの。

 

それで、友達と釣りを楽しんで東急東横線の新丸子という駅の改札をくぐってホームに降りて時刻表を見るとすぐに電車はないことがわかったんだけど、その瞬間、時刻表にない電車が入ってきてね、私と友人は「ラッキー✌!!」とばかりに電車に乗ったんだ。

 

当時の新丸子の駅は今のように立派ではなくてね、渋谷方面に向かって最後尾にフォームに降りる階段があって、私たちはしたがって8両編成の電車の最後尾に乗車したんだ。

 

下車駅は「自由が丘」で乗り換え階段は「真ん中付近」だったんだけど、今でもなぜだかわからないんだけど、最後尾の車両から7両目、6両目・・・とどんどん先頭車両の方へ歩いて行ったんだ。

 

それで先頭車両の一番前の進行方向に向かって左手の座席に「よいしょ!」と座ったら・・・・・・・・、

 

目の前に母がいたんだ😱😱

 

 

母もね、最初は「何が起きているのかを必死に理解しようとしていた」・・・けど、コチラは釣り竿を持っているし、事情が飲み込めた途端に母の顔は👹に変わっていた😥

 

その後、しこたま叱られたことは言わなくてもわかるでしょ?

 

 

 

七海:

はい、わかります😁 

 

それが「天網恢々疎にして漏らさず」ってことですね。

 

小さい頃の和尚のお陰でよ〜く、わかりました😁

 

 

 

和尚:

そっかぁ〜。

 

それなら良かった。お役に立てて😁

 

そう、それが「天網恢々疎にして漏らさず」ということだよ。

 

いやね〜、自宅の付近で見つかったというのであれば、まあ、「天網・・・」までは行かないかもしれないけれど、自宅からはるか離れた大田区の田園調布付近を走る東横線の車内でバッタリ合うわけでしょ? 

 

しかも、時刻表にない電車が来て、最後尾に乗ったのに、そこに座っていれば良いものを先頭車両のしかも一番前まで歩かされてお袋が座っている目の前に座らされるんだもの😥😥

 

七海も気をつけたほうがいいよ!

 

 

 

七海:

いや、恐ろしいですね〜。そんなことがあるんですね!!

 

その時の和尚と和尚の親友の方とお母様の光景をバッチリ思い浮かべることが出来るので、お腹が痛くなるくらい笑っちゃうけど、私も気をつけないといけないですね。

 

 

 

和尚:

そうだよ。

 

・・・ということで和田さんのお話は七海がプロになったら、決して

 

 

思ってもいないのに「ギャラリー」を主語にした嘘をつかないように

 

 

という話につながっていったというところだったね。

 

 

それでは、正直に「私は自分が大切なので『ギャラリーやファンの方々は大切だ』なんって言いません」ということで良いかというと、それは良くないんだ。

 

やはり

 

本心から「ギャラリーのため、ファンのため」に自分の能力をフルに発揮する

 

ということが大事だし、そこが終着駅なんだけど、本心から納得して嘘偽りなく、そういうふうに思えるようになるためにはもう少し、このメンタル法話を聴き続けてもらう必要があるネ。

 

さあ、それでは和田さんのもう一つの素晴らしいお話に移る前に一息🍵入れようや。

 

 

七海:

あれ、和尚、いつもの鐘つきの時間が迫っていますよ。大丈夫なんですか?

 

 

 

和尚:

ああ、今日は修業の体験会に来てくださっている方にやってもらうようにしてあるから大丈夫さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

七海:

では和尚、続きをお願いします。

 

番組の中で語られていたことで私に話しておきたいことの二番めのお話というのはどのようなお話ですか?

 

 

 

和尚:

うん、それではその話に進むことにしよう。

 

和田さんがおっしゃるにはを育て、守るには「地域の人達を巻き込むことが大切」だそうだよ。

 

そこで和田さんはボランティアの育成にも力を入れていらっしゃっているんだね。

 

七海に伝えたい二番目の話というのは和田さんがそんなボランティアの皆さんにいろいろとのことについて講義されていらっしゃるシーンで交わされた会話にちなむものなんだ。

 

和田さんはね、あるシーンで次のようことをおっしゃっていらしたんだ。

 

 

 

和田さん:

 

 

は春だけでなく、実は一年中みていないと、どんな具合かわからなくなる」

 

 

・・・と。

 

そうしたらね、ボランティアのあるご婦人が

 

 

 

ご婦人:

 

 

「今(※)だけ見てただけじゃダメなのね」

※ の花咲く頃合いのこと

 

 

とおっしゃったんだ。

 

私もね、正直言うと、ホラやっぱりってこちら関東では卒業式/入学式の前後に先ごろのピークを迎えるから、どうしてもその頃「だけ」注目しがちだったけれど、和田さんとこのボランティアのご婦人のお言葉のお陰で「あっ、そうだな!!」と気づき⚡をいただいたんだ。

 

 

たとえば我が家の子どもたちにしても「晴れの舞台」の時のためにも

 

「晴れの舞台」の時期だけでなく、「枯れている時」も「その他の時」も平等に見て👀いてあげることが大事

 

だっていうことをネ。

 

 

それとね、メンタルで言えばこのお二方のやり取りはいつか七海に話したと思うんだけど、

 

 

「ゴルフの大事な時だけメンタルを強化しようと思ってやってもダメ🙅。

 

日常のひとつひとつのことを試合の最重要場面と同じ精神で行う必要がある」

 

 

と私が言ったこととつながったんだ。

 

つまりね、人の目からしてみれば

 

 

「きれいに咲き誇る時」「最高」「葉が落ち切っている時」「今ひとつ」

 

 

という差別というか区別があるよね。

 

 

でも、桜にしてみれば

 

 

「きれいに咲き誇る時」「葉が落ちきっている時」とで

 

同じ

 

であり「つながっている」

 

 

ということね。

 

「つながっている」からこそ、咲いていない「その他の時期」に桜に意識を向ける、すなわち「見守る」ということが「咲き誇る時期」に影響するということだと私は思ったんだ。

 

 

七海もわかるでしょ?

 

 

 

七海:

はい、そのように解説していただくとわかります。

 

私たちの目で見れば「咲いている」「咲いていない」という「違い」があって、「違い」があると無意識に「もう別のもの」という判断をしてしまう。

 

 

本来「一つのもの」なのに「咲いている」「葉を落としている」「ぶつ切り」にしてその対象のものを見てしまっている

 

という理解で間違いないでしょうか?

 

 

 

和尚:

ああ、それで完全に理解しているよ😄

 

 

 

七海:

だから私も日頃、ラウンドをしている時に知らず知らず

 

 

「今日は試合じゃないラウンド」、「今日は大切なラウンド」と「ぶつ切り」にして目の前のゴルフを見てしまっている

 

 

ということですね。

 

 

 

和尚:

うん、その通り!! 

 

そして多くの人はそのように「ぶつ切り」にした後に「大切な方のラウンド」のときにだけ

 

 

「メンタルを強くして持っている実力を出したい。何か良いノウハウはないかな〜」

 

 

などと考えて取り組んでいるということだね。

 

でも、今回の和田さんのボランティアの皆さんへのお話からわかったと思うけれど、本来、「大切な試合の時」(※)にだけ効果がある薬なんてないんだよ。

※ で言えば「咲き誇る大舞台の時」のこと。

 

そういうものを欲しがる気持ちはわからないでもないけれどもね・・・。

 

和田さんがおっしゃっていたように「その他の時」も見ていてあげることが大切・・・ということは七海のゴルフに置き換えてあげると、

 

大切な試合で咲き誇るには何気ない今日一日の小さな仕事を出来るだけ丁寧に心を込めて行うこと

 

だよ。

 

 

「な〜んだ。地味なことで張り合いないな〜」と思うかもしれないけれど、

 

「小さいことは大きいこと」、「大きなことは小さなこと」

 

なので、「葉を落としている時」にそのように取り組むことだけが、「咲き誇る時」に咲き誇ることが出来る条件だということだね。

 

 

余談になるけど、この「日常のことを心を込めてやっていくこと」をヨーガの分類では

 

 

カルマ・ヨーガ

 

 

呼んでいるんだ。ちゃんとしたヨーガの行為なんだということだね。

 

 

まあ、こういうことを七海と分かち合いたかったんだ😃

 

和田さんからのお話をいただいて、「を通して」私もまた学び直したというわけだよ。

 

 

「和田博幸さん、有難うございました」

 

 

今日は七海、延長戦でいつも以上によく学んだね。

 

そろそろお開きにしようか。お疲れさん。

 

 

 

七海:

番組からどのような展開になって、どのような学びをいただけるのかと思っていましたが、「愛」「エゴ」ということを絡(から)めて「ギャラリー/ファンのために・・・」という将来、私にとってとても大事なお話をしていただいて、終盤は「日頃の小さな行いの際の私の『心』が大舞台での自分のパフォーマンス・・・咲き誇りを決めること」を学ぶことが出来ました。

 

今日も実り多かったです。

 

今日は「和田さん」「和尚」に感謝ですね。

 

和尚、またたまには「番組バージョン」をお願いしますよ。

 

和尚とは異なる方のお言葉を介してのメンタルの学びはまた視点が違って何ていうかな〜・・・理解しやすいです。

 

 

和尚:

おお、そうか。

 

じゃあ〜、またやろう、またやろう。

 

じゃあ、気をつけて帰ってね👋

 

 

 

わかる人には「ああ、そうか」とすぐにわかる。

わからない人にもいずれ「ああ、そうだったか」とわかる。

須崎の『ゴルフに役立つメンタル』でした。

グッド・ラック👍

 

 

今回もお読みいただきまして有難うございました😃

また一緒に楽しみましょう!!