想念から自由になる。

 

それには私たちにまつわるいろいろなことを知る必要があります。

 

たとえば想念・・・想念というのは考え感情といったことです・・・は偶然にその場で生じていたり、性格的にそのようになっているというものではありません。

 

前回同様、ここでは怒り💢を例に取りますが、悲しみ、落ち込み、ねたみ(嫉妬(しっと)のことですね)などの感情についても同様なので置き換えてお読みになっていただきたいと思います。

 

怒り💢が出てくるときには必ず原因があります。

 

何もないのに急に怒り出す💢💢ということはありませんね😅 

 

目の前の現実であったり、過去の記憶であったり、怒り💢を引き起こした何らかの原因があるわけです。

 

その原因を「縁」と言います。

 

ある人と知り合いになる。ある土地に住む。ある会社に入社する。そういうことを「ご縁」と言いますね。

 

ここで登場した「縁」はそういった「ご縁」と同じものです。

 

何も原因がなければ・・・つまり「縁」がなければということですが・・・怒り💢が生じることはないけれど、それがある出来事である「縁」とご縁が出来て反応が起きます。その反応が怒り💢です。

しかし、「縁」だけでは怒り💢は起きません。

 

同じ状況(=「縁」)でも怒る人と怒らない人がいますね。

 

 

「そんなことくらいで怒らなくてもいいじゃない」

 

 

「あなたそこまで言われてよく怒らないわね」

 

 

という言葉を聞きますね?

 

そういうことから、ただ「縁」だけで怒り💢が起きるわけではないということがわかります。

 

怒り💢が生じるには「縁」が生じた時に怒り💢という反応が生じる「何か」が必要です。

 

そうですね?



酸素水素ができるということは私たちが学校で学んだことです。

 

酸素だけでは反応が起きませんから水になりませんね?

 

それと同じように「縁」だけでは反応が起きないので「怒り💢」は出ないということです。

 

怒りが出るには「怒り💢の種」が必要です。

 

その「種」のことを「因」と言います。原因の「因」ですね。ちなみに怒り💢という反応を生じた結果なので「果」と呼びます。

 

何も難しい哲学、心理学、精神分析、宗教を勉強しなくとも、私たちの身の周りをよ〜く👀観察👂しますとそうした学問が言っていることがわかります。

 

今お話している「因」「縁」「果」などということも、たとえば🍑の木(← 須崎は銀行マンの第一歩を桃の産地であります岡山からはじめました。岡山との「ご縁」😃があります。今回の豪雨災害は胸を痛めるものでした。お見舞い申し上げます)を観察すればよくわかります。

 

 

桃の種(因)+日光や肥料に水(縁)=桃🍑(果)

 

 

怒りに置き換えますと怒り💢が出るというメカニズムは次のようになります。

 

 

「怒り💢の種」(因)+「怒らせる出来事」(縁)=「怒り」💢(果)

 

 

どうせ実がなるなら怒り💢より桃🍑の方がいいですね😋

 

さあ、ここまではおわかりになりましたか?

 

目の前のことはたまたま起きている、あるいは偶然に起きていると思いがちですが、この世に偶然はありません。

 

もし偶然というものがあるのであれば天体の運行はおかしくなってしまうでしょう。

 

偶然というのはまだ私たちにはわからない必然に過ぎません。それは偶然という夢あふれる言葉でそのままにしておきましょう。

 

想念から自由になるということについてお話していますが、続きはまた今度。

 

 

想念から自由になることを学んでいるんだ」

 

 

ということは覚えておいてくださいね。

 

 

<続く>