さて、私たちは想念の一つとして怒り💢を取り上げて想念の発生メカニズムを学んでいたところでしたね。

 

先に進める前にもう一度復習をしておきましょう。

 

怒り💢が出るメカニズムは次の通りでしたね。

 

 

「怒り💢の種」(因)+「怒らせる出来事」(縁)=「怒り」💢(果)

 

 

さて、「縁」というのは「やってくるもの」なので自分の手には負えません。

 

たとえばいくら

 

 

「私がこのいい人を射止めたのよ😃」

 

 

と自分で縁を結んだと言い張られる方でも、その「いい人」が現れるまでにはご本人にもその「いい人」にも無数の奇跡的動作があったわけですよね?

 

キリがないので幾つかにしておきますけど、

 

 

その「いい人」が今の時代に誕生していなければ・・・

 

 

その「いい人」のご両親が出会っていなければ・・・

 

 

それこそ箸の上げ下げや、オカワリ🍚をもう一杯するかしないか、その電車に飛び乗るか乗らないか(一本早く乗れるのがラッキー✌とは限りません)・・・そういうことの積み重ねが「行かなければならない場所」、(会いたいか会いたくないかは別として😅)「会わなければいけない人」と絶妙なタイミングで「縁」を結んでいます。

 

そういうことで「縁」は自分の力の及ばないところになります。

 

それでは次に「因」・・・ここで言えば「怒り💢の火種」ですね・・・について見てみたいと思います。

 

ふつう、この「因」「自分にはどうしようもないもの」と思われているのではないでしょうか?

 

 

「怒りっぽい💢性格は生まれつき」

 

「性格だからどうしようもない」

 

「そういう人だから・・・」

 

 

というようなことを聞き👂ますね。

 

「因」「縁」「自分にはどうしようもないもの」なら、「果」もあらかじめ決まっているということになりますね。

 

そうであるとするならば

 

 

「運命は既に決まっている」

 

 

ということになります。

 

この世のカラクリに興味をもってそこにメスを入れない限り、「すべては偶然」と観るか、「すべては運命」と観るか、あるいは「そういうことについては何も考えない」かのいずれでしょう。

 

しかし、この世のカラクリを調べてみれば実は

 

 

「因」は変えていくことが出来る

 

 

ことがわかってきます。



しかし、「ううん?? 何だかおかしいなぁ〜🤔」と今まで疑っても見なかったことにメスを入れてみようというところまで来るのがなかなかどうして大変なのです。

 

地動説を発見した時もそうですよね。

 

私などは地動説を学んでいるので「それは当たり前」とわかりますが、教えてもらわなければ今でも平気で「大地はどこまでも平ら」だと言っていたことでしょう😅

 

地動説を発見した人たちはやはりいろいろな現象を観察しているうちに「ううん?? 何だかおかしいなぁ〜🤔」と思ってそれまで他の人が疑ってみなかったことにメスを入れて本当のカラクリ・・・つまり真実を発見したわけです。

 

それと同じことで「因」についても、そのカラクリにメスを入れない限り変わることはありません。

 

ただ、メスを入れて真実に気がつけばその「因」も変わります。

 

その真実と真実に基づいての「因」の変え方については次回お話しましょう。

 

「因」を変えることができれば「果」は変わるわけですからね。

 

 

<続く>