今回はまた中部銀次郎さんから生き方のヒントをいただきましょう。

 

まずは中部銀次郎さんについてご紹介します。

 

 

 

◆ 中部(なかべ)銀次郎さん

 

中部さんは高校生のときに大学生に混じって関西学生選手権に優勝🏆し、その後、私の母校であります慶應義塾大学への進学を検討しますが、ゴルフ環境の面から1年浪人しまして兵庫県の甲南大学に進み、ゴルフ部に在籍しました。

甲南大学時に日本のアマチュア大会の最高峰であります「日本アマチュア選手権」を2度優勝(1962/1964年)し、卒業と同時にプロ入り濃厚と見られていましたが(※)、プロ入りせずにその後もアマチュアとして活躍し、「日本アマチュア選手権」は4回の優勝を加えまして🏆🏆🏆計6回優勝🏆🏆🏆してその名を馳(は)せました。

 

※ 中部さんのプロ入り断念の逸話にご興味のある方は次↓の記事をどうぞ。お読みになりたい方はタイトルもしくは「続きを読む」をクリックしてください。

 

 

『日本一のアマチュアゴルファーをプロ転向させなかったプロ』

 

 

 

 

◆ 中部氏の教えから学ぶ

 

 

❏ ある程度まではクラブの本数は半分以下でよい

 

中部さんは初心者や中級者に対して

 

 

クラブの本数を半分以下でプレーすること

 

 

を勧めています。

 

ゴルフをされない方のためにご説明しておきますと、ゴルフでは14本までクラブを携帯することが許されています。

 

プロは練習の際にはどのクラブがそのコースに適しているかを探るためにその本数以上のクラブでコースをまわることもありますが、試合では使用していなくてもバッグに14本以上入っていますと最大4打までペナルティーが科されます。

 

というわけで、中部さんは初級者、中級者のゴルファーには6〜7本のクラブでプレーすることを勧めているということになります。

 

その理由として中部さんが挙げているのが以下のことです。

 

 

◎ クラブ選択で迷わなくなり、ためらうことなくスウィングできる。

 

◎ 1番手おきのクラブでもグリーンのどこかに乗せることは十分可能。

 

◎ そもそもそうしたレベルのプレーヤーは1番手違いの距離をまだ正確に打ち分けることが出来ない。

 

 

つまり、中部さんは助けになるどころか、迷いなどのメンタルにとってマイナスになることを捨てるようにアドバイスを送っているわけです。

 



 

◆ 生き方のヒント

 

 

 

❏ 断

 

中部さんのアドバイスを人生で活かすとしますと、それはを念頭に置いて生活することではないかと思います。

 

その点についてご説明しましょう。

 

中部さんはクラブの本数は半分で良いとアドバイスしてくださいました。

 

このことは通常14本のクラブを持つことを「断る」ことで、次いで残り半分のクラブを(実際に廃棄するわけではありませんが)「捨てる」ことです。

 

この「捨てる」には

 

 

クラブを持っていかない

 

 

という実際上の意味合いの他に

 

 

「念のため、限度いっぱいにクラブを持ってプレーしたい」という想い(欲)を捨てる

 

 

という内心の意味合いもありまして、私はこちらの方が大事ではないかと思います。

 

そして、最後に「クラブはフルセット(14本)そろえてプレーしなければならない」という常識から「離れる」という意味に置き換えられると思います。

 

この「断る」「捨てる」「離れる」ということを私たちが日常生活を送る上で一時的に頭の片隅に置いておくのは役に立つことだと思います。

 

このはもちろん物質的なことを「断ったり」「捨てたり」「離れたり」するわけですが、それだけではなく、物質的なことに対する行動を通じて精神的に自分の「欲」「断ったり」「捨てたり」「離れたり」するために行います。

 

どうして・・・?

 

それは自分の「欲」に対してそのようなことができるようになれば、

 

 

自分の「欲」から自由になることができるから

 

 

です。

 

「欲」想念ですから、を通しまして自分の想念から自由になることができるということです。

 

想念から自由になることが

 

 

ほんとうの自由

 

 

で、そこに幸せ😊があるからです。

 

しかし、ココに気をつけなければいけないことがあります。

 

それは私が先ほど「一時的に頭の片隅に置くのも・・・」と「一時的に」と申し上げたことに関係します。

 

つまり、も役に立つことではあるのですが、そのをいつまでも持ち続けたままですとにならないということです。

 

おわかりになりますか?

 

いずれからも自由にならなければ幸せになれないからです。

 

ここで小話を一つ。

 

 

♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬

 

 

むかし、修行中の二人のお坊さんが大きな川の岸に来ました。

 

ふと見ますと若い娘さんが、岸辺で困っています。

 

事情を聞きますと、向こう岸に渡りたいのですが、この水量では難しいと困っているとのことでした。

 

そこで一人のお坊さんが彼女を抱えて川を渡り、そして向こう岸で下ろしました。

 

仲間のお坊さんはカンカン💢になって、その娘を渡したお坊さんに言いました。

 

「ああ、君を見損なったよ。娘を抱くなんて・・・」

 

そうしますと、言われたお坊さんが言いました。

 

「僕は岸で彼女を下ろしたけれど、何だ。君はまだ彼女を抱いていたのか?

 

と・・・。

 

言われたお坊さんは返す言葉もありませんでした😰

 

 

 

♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬

 

 

修行中の身にとりましては女性は修行の邪魔になるということで、接触は厳しく制限されていました。

 

それで実直な相棒は娘を抱いた仲間を非難したわけですが、逆に対岸に渡って娘はいなくなった後も心にその娘を抱き続けていることを指摘されてしまったというわけです。

 

戒律に心が縛られて、仲間が娘を抱いたことにまた心が縛られて、このお坊さんの心は不自由だということがおわかりいただけると思います。

 

それに対して娘を抱いて渡ったお坊さんは臨機応変に対応し、戒律では禁止されていることを超えて娘さんを助け、その後は心に娘さんを抱き続けずにいた自由さがありますね。

 

「一時的に」と私があえて申しましたのも、そのことでして・・・も絶対的なものではなく、一時的な道具に過ぎません。

 

用が済んだら、このでさえも手離さないといけません。

 

でないと、一方のお坊さんのように「ああ、あの人はが出来ていないからああなんだわ」と「人を非難したい『欲』」にやられてする目的と反対の方角へと行ってしまいます👋からね。

 

注意しましょう

 

今回もお読みいただきまして有難うございました

 

 

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『ゴルフから学ぶ生き方のヒント (1)』