<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(18)

ゴルフに関係なさそうな話で知らないうちにメンタル強くなる新しい時代のメンタル強化法

 

『技』だけを磨いてもあなたの実力はフルに発揮されません。こちらの法話をお読みいただいて『心』もバランス良く磨いて実力をフルに発揮しましょう!!

 

※ はじめてお読みいただく方はまず『<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(プロローグ)』の記事からお読みいただくのが効果的です。上の記事名をクリックください。

 

 

🍀 「正しい」ことより「信じる」こと

 

「心」「精神」といったことに取り組む際には本当にいろいろな道があります。そして一生懸命に取り組む人ほど「その道を間違いなく、厳格に守らないといけない」と思ってしまいがちです。

 

また「心」「精神」に取り組む際には「信じる」こと、つまり「信仰」は避けて通ることのできないものです。「信仰」というとアレルギーが出る方もいらっしゃいますが、そういう方でも、「ある人」や「ある考え方」や「ある分野」などなどを信じているものです。ある意味、人というのは信じる(=信仰する)という機能と共に在る存在ということが言えると思います。

 

今回は道を「正しく」進むこと「信じて」進むことについてわかりやすいお話をご紹介させていただきたいと思います。ゴルフの世界で言えばたとえば「D プレーン理論」という理論がありますね。その理論が出て、それまでの飛球の理論がまったくひっくり返されてしまいました。

 

今回は技術のお話ではございませんので「D プレーン理論」につきましてご存じのない方はスミマセンが🙏、各自でお調べになってみてください。

 

「正しい知識」や「正しい理論」を知ることの大切さを認めた上で申し上げますが、たとえ飛球の理論は間違っていても、それまで間違っていた理論でスウィングしていた名選手たちは見事に狙ったところから目標へと球を操っていました。

 

「正しい理論」というのも大切ですが、また一方で今申し上げましたところにも目を向けたいものです。今回のお話はそうしたことにも関係すると言えるでしょう。最終的にはゴルフの場合、「目標としているところへ球を置くことができれば良い」わけですからね😉

 

 

精神の栄養になる昔話

 

ある村に病気をよく治す()というおばあさんがいました。そのおばあさんは患者がやってきますと「大麦小麦 二升五合(にしょうごごう)」と唱えて病を治すのでした😃

 

あるとき、位の高いお坊さんが都へ行く途中におばあさんの村に立ち寄る機会がありまして、たまたまおばあさんの唱える文言に耳が止まりました。

 

そして、おばあさんに

 

「ああ、ばあさん、それはな、そう言うんじゃないよ。正しくは『応無所住而生其心』(おおむしょじゅうにしょうごしん)と言うんだ」

 

と親切に教えてあげました。その後、おばあさんは正しいお経の言葉で唱えることにしましたが、病を治す力(神通力)はまったく無くなってしまったのです😥

 

そこで、おばあさんは元の間違った言葉で唱え直しました。すると、どうでしょう・・・病治しの力は蘇(よみがえ)ったのです。

 

※ 諸説ございまして「病気を治す」ということの他に「物を言い当てる」等、あるようです。

 

 

 

【須崎の独り言】

 

 

このおばあさんが唱えていた(と思っていた)一節

 

『応無所住 而生其心』(おうむしょじゅうにしょうごしん)

 

はお経の一節でこの言葉自体が大変奥深いことを物語っています。昔、その後、偉いお坊さんになった方がまだ出家する以前にこの言葉を耳にしてお悟りを開かれたという言葉でもあります。

 

今日の主題ではございませんが、せっかくのご縁ですから、この言葉について学んでみましょう。

 

この言葉の意味は

 

「心が1ヶ所に留(とど)まることのないとき、

そのところから本来の心が生まれる」

 

という意味になりまして、「心」「精神」を学ぶ際に本当に大切な要点となります。

 

同じ内容のことが徳川幕府に重く用いられた沢庵(たくあん)和尚の『不動智神妙録』(ふどうちしんみょうろく)にも出てまいります。

 

私たちはふだん正しく「心」を用いることができていないんですね。たとえば、その本人とは既に別れているのに言われたひと言が再生されてしまって、あらためて「頭にきた💢」とか「ああいう言い方しなくとも」とか「あんなこと言われて私って駄目だな😥」・・・などなどと心が自分にとって良からぬ方向に動くことってありますよね?

 

そうした状況は心が「言われたそのこと」に止まってしまっていますよね? もう目の前の状況は変わっているのに自分の心は「今」の現実でない「言われたそのこと」や「その人の言い方」、「言った時の相手の顔」に止まってしまっている。つまり、とらわれてしまっています。この言葉は裏を返せば「そうした『心』では『本来の心の働き』は出ませんよ」ということを言っているのです。

 

本当はこうした「の用い方」について子どもの頃に教わることができるといいんですけどね・・・。学科も大切ですが、習った学科を使う「心」のことを学ばないと学科も生きないと私は思うのです。こちらの法話では折々に「心」について皆さんと一緒に学んで行きたいと思っております。

 

 

 

Don’t Worry. Be Happy🍀

 

今回もお読みいただきまして有り難うございました🍀

<2019年8月24日法話>

 

 

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